みんなから、無慈悲な稲妻を受けないために、
大事そうなところを、超訳&ななめ読みしている
PressmanのSoftware Engineeringを超訳ななめ読みする
前回は、第一章のはじめだったので、
今日は、そのつづきから。
(「第一章 ソフトウェアとソフトウェア工学」つづき)
ソフトウェアは死んだのか?もしそうなら、この本は読んでいないだろう
コンピューターソフトウェアは、世界的に見て、唯一の最も重要な技術であり続けている。そして、「意図せざる結果の法則」の一番の例でもある。
5年前、誰が、ソフトウェアが、ビジネス、科学、エンジニアリングに欠くことのできない技術になると予想できたであろうか。(いや、5年前には、予想できただろう・・というツッコミは無視します:このことばは原文にない)ソフトウェアは新しい技術を創出した(例えば、遺伝子工学やナノテク)。そして既存の技術を拡張した(例えば、テレコミュニケーション)。さらに古い技術を革新的に変えた(例えば印刷業)。これらのソフトウェアは、PCの変革を背景として、突き動かされたものである。
パッケージ化された(訳注:シュリンクラップ→パッケージソフトにビニールがかかっている。あのビニールをかける工程をシュリンクラップという。工場でやるのが普通だが、同人などで少ない量の場合、東急ハンズでキットが売っているらしく、それをドライヤーでほにゃほにゃすると、シュリンクされる。原文はシュリンクラップだが、パッケージ化に変えた)ソフトウェアが、近くの商店街でお客に買われたが、それが、Webブラウザから、ジャスト・イン・タイムで運び、オンデマンドで提供するソフト会社のサービスとして、製品が提供されるという、緩やかな進化が起きている。
ソフトウェア会社は、もっと大きくなり、より影響力を持っている。インターネットという、ソフトが動かすネットワークは、図書の検索から、ショッピング、政治談話、若い人(やそんなに若くない人の)デートの習慣までも進化させ、変えさせた。
誰も、ソフトウェアがあらゆる種類のシステムに組み込まれることを予見できなかった。交通、医療、テレコミュニケーション、軍事、産業、エンターテイメント、オフィス機器・・・リストを挙げれば、きりがない。
「意図せざる結果の法則」を受け入れるなら、予見できなかった多くの結果を挙げられる。
誰も何百万ものコンピュータープログラムが、正しく、調整されて、時間経過と共に拡張されるなんて、予見できなかった。この保守活動という負担が、新しいソフトを開発する全作業より、多くの人、多くの資源を飲み込んでいった(太字は訳者が勝手につけた)。
ソフトウェアの重要性が増大するにつれ、ソフトウェアのコミュニティも、プログラムを構築し、保守するのに、早く、速く、高くない開発技術を継続的に試みるようになった。これらの技術のいくつかは、特定のアプリケーションのドメインを狙ったもの(例えば、Webデザインと実装)だったり、またある技術ドメインにフォーカスしたり(例えばオブジェクト指向のシステムや、アスペクト指向プログラミング)、さらに幅広い分野のモノもある(例えばLinuxなどのOS)。しかし、私たちはまだ、ソフトウェア技術を開発している。人々は、仕事、快適さ、安全、エンターテイメント、意思決定、まさに生活をコンピューターのソフトウェアに期待している。それは良くなる。
この本は、コンピューターソフトウェアを構築する人、つまりそれらを良くするに違いない人に使ってもらえるフレームワークを提供する。そのフレームワークは、プロセス、一連の方法論やツール群、つまり私たちがソフトウェア工学というものにまで広がっている。
このあとから、1.1章「ソフトウェアの特徴」に入っていくけど、
その前に、アジャイルを先にかいていこうと思う。
大事そうなところを、超訳&ななめ読みしている
PressmanのSoftware Engineeringを超訳ななめ読みする
前回は、第一章のはじめだったので、
今日は、そのつづきから。
(「第一章 ソフトウェアとソフトウェア工学」つづき)
ソフトウェアは死んだのか?もしそうなら、この本は読んでいないだろう
コンピューターソフトウェアは、世界的に見て、唯一の最も重要な技術であり続けている。そして、「意図せざる結果の法則」の一番の例でもある。
5年前、誰が、ソフトウェアが、ビジネス、科学、エンジニアリングに欠くことのできない技術になると予想できたであろうか。(いや、5年前には、予想できただろう・・というツッコミは無視します:このことばは原文にない)ソフトウェアは新しい技術を創出した(例えば、遺伝子工学やナノテク)。そして既存の技術を拡張した(例えば、テレコミュニケーション)。さらに古い技術を革新的に変えた(例えば印刷業)。これらのソフトウェアは、PCの変革を背景として、突き動かされたものである。
パッケージ化された(訳注:シュリンクラップ→パッケージソフトにビニールがかかっている。あのビニールをかける工程をシュリンクラップという。工場でやるのが普通だが、同人などで少ない量の場合、東急ハンズでキットが売っているらしく、それをドライヤーでほにゃほにゃすると、シュリンクされる。原文はシュリンクラップだが、パッケージ化に変えた)ソフトウェアが、近くの商店街でお客に買われたが、それが、Webブラウザから、ジャスト・イン・タイムで運び、オンデマンドで提供するソフト会社のサービスとして、製品が提供されるという、緩やかな進化が起きている。
ソフトウェア会社は、もっと大きくなり、より影響力を持っている。インターネットという、ソフトが動かすネットワークは、図書の検索から、ショッピング、政治談話、若い人(やそんなに若くない人の)デートの習慣までも進化させ、変えさせた。
誰も、ソフトウェアがあらゆる種類のシステムに組み込まれることを予見できなかった。交通、医療、テレコミュニケーション、軍事、産業、エンターテイメント、オフィス機器・・・リストを挙げれば、きりがない。
「意図せざる結果の法則」を受け入れるなら、予見できなかった多くの結果を挙げられる。
誰も何百万ものコンピュータープログラムが、正しく、調整されて、時間経過と共に拡張されるなんて、予見できなかった。この保守活動という負担が、新しいソフトを開発する全作業より、多くの人、多くの資源を飲み込んでいった(太字は訳者が勝手につけた)。
ソフトウェアの重要性が増大するにつれ、ソフトウェアのコミュニティも、プログラムを構築し、保守するのに、早く、速く、高くない開発技術を継続的に試みるようになった。これらの技術のいくつかは、特定のアプリケーションのドメインを狙ったもの(例えば、Webデザインと実装)だったり、またある技術ドメインにフォーカスしたり(例えばオブジェクト指向のシステムや、アスペクト指向プログラミング)、さらに幅広い分野のモノもある(例えばLinuxなどのOS)。しかし、私たちはまだ、ソフトウェア技術を開発している。人々は、仕事、快適さ、安全、エンターテイメント、意思決定、まさに生活をコンピューターのソフトウェアに期待している。それは良くなる。
この本は、コンピューターソフトウェアを構築する人、つまりそれらを良くするに違いない人に使ってもらえるフレームワークを提供する。そのフレームワークは、プロセス、一連の方法論やツール群、つまり私たちがソフトウェア工学というものにまで広がっている。
このあとから、1.1章「ソフトウェアの特徴」に入っていくけど、
その前に、アジャイルを先にかいていこうと思う。