たとえば、家に電気を引く時、
・どこにどのように電気を引くかという設計部分と
・実際に電気工事をする実装部分
にわかれる。
前者の設計部分は、モデリング技術が必要となり、
後者の電気工事は、実装する技能が必要となる。
このようにモノには、モデルを作る部分と、モデルをもとに実装する部分がある
どちらが大事とか、どちらが偉いとかいうことはない
(ただし収入は、モデリングを作るほうが圧倒的に高い)
ハーバードで考えた、純ドメ日本人の「価値」 「同じ30代でも専門性が違う!」と絶句
で、海外のひとは、いろんな大学院に行って専門性が高いと言っているが、
それは、モデリング能力を磨いていることになる。
どんなにすごいロボットを考えついても、
実際にそれを旋盤を回して、誰かが作らなければ、
そのモデルは実現されない。
旋盤回して作れないロボットのモデルをいくら頑張って作っても、
実現できないのだから、意味はない。
しかし、海外には身分差別がある。
だから、旋盤を回すひとと、大学院で勉強する人の距離は果てしなく遠い
収入差も大きく、人生の勝ち組と負け組の差がはっきりしている。
日本はそんなことはない。、
大学院までいっても、町工場の人を尊敬こそすれ、バカにすることはないし、
そもそも、まじめに働いている町工場の人は、
たぶん職にあふれた非常勤しか勤められない博士持ちの人より、給料は高い。
つまり、給料だけで見ると、町工場の人 >> ポスドク
状態だったりする。
ここに、日本のモノづくりのポテンシャルがあったりするわけだ。
しかし、ソフトウェアに限って言うと
システムを設計するモデリングの技術・・・が大事だと思っている人は少なく、
実装、運用する技術・技能・・・が重視されている。
たとえば、みずほの次期システム開発を、2ちゃんの情報だけでみると、
要求は挙がってくるものの、その要求をまとめあげ、各部署の関連をチェックし、
一つのモデルにまとめ上げる部分を本来IRがするべきだが、
そこは大事にされず、実装あるのみで進んでいるように見える。
実装する技能とモデリングする技術は両方大切なのであって、
どちらか一方に偏重することは危険だったりする。
・どこにどのように電気を引くかという設計部分と
・実際に電気工事をする実装部分
にわかれる。
前者の設計部分は、モデリング技術が必要となり、
後者の電気工事は、実装する技能が必要となる。
このようにモノには、モデルを作る部分と、モデルをもとに実装する部分がある
どちらが大事とか、どちらが偉いとかいうことはない
(ただし収入は、モデリングを作るほうが圧倒的に高い)
ハーバードで考えた、純ドメ日本人の「価値」 「同じ30代でも専門性が違う!」と絶句
で、海外のひとは、いろんな大学院に行って専門性が高いと言っているが、
それは、モデリング能力を磨いていることになる。
どんなにすごいロボットを考えついても、
実際にそれを旋盤を回して、誰かが作らなければ、
そのモデルは実現されない。
旋盤回して作れないロボットのモデルをいくら頑張って作っても、
実現できないのだから、意味はない。
しかし、海外には身分差別がある。
だから、旋盤を回すひとと、大学院で勉強する人の距離は果てしなく遠い
収入差も大きく、人生の勝ち組と負け組の差がはっきりしている。
日本はそんなことはない。、
大学院までいっても、町工場の人を尊敬こそすれ、バカにすることはないし、
そもそも、まじめに働いている町工場の人は、
たぶん職にあふれた非常勤しか勤められない博士持ちの人より、給料は高い。
つまり、給料だけで見ると、町工場の人 >> ポスドク
状態だったりする。
ここに、日本のモノづくりのポテンシャルがあったりするわけだ。
しかし、ソフトウェアに限って言うと
システムを設計するモデリングの技術・・・が大事だと思っている人は少なく、
実装、運用する技術・技能・・・が重視されている。
たとえば、みずほの次期システム開発を、2ちゃんの情報だけでみると、
要求は挙がってくるものの、その要求をまとめあげ、各部署の関連をチェックし、
一つのモデルにまとめ上げる部分を本来IRがするべきだが、
そこは大事にされず、実装あるのみで進んでいるように見える。
実装する技能とモデリングする技術は両方大切なのであって、
どちらか一方に偏重することは危険だったりする。